当時、海外旅行は一般的ではなかった。
イスタンブール、モンテカルロという憧れの世界を歌う楽曲が売れていた、
イスタンブールにモンテカルロ 憧れの世界で大ヒット 庄野真代
と題して 飛んでイスタンブール、モンテカルロに乾杯がヒットした庄野真代について調べてみよう。
フォーク歌手でデビュー
庄野 真代(しょうの まよ、1954年12月23日 – )は、日本の女性シンガーソングライターである。本名:庄野 眞代[2](読み同じ)。血液型B型。大阪府 大阪市西淀川区出身。ルフラン所属。
サーカスの叶正子、同期デビューの渡辺真知子とは友人関係にあり、共演することも多い。
2000年代以降は、音楽を通じた社会貢献・国際貢献を志してボランティア活動やNPO法人の設立なども行っている[1]。また参議院選挙への立候補歴もある(後述)[3][4]。2014年より法政大学人間環境学部兼任講師[1]。子ども食堂しもきたキッチン主宰
少女時代は病弱で、オルガン教室に通うなどしていた。小学校高学年から活発になり、中学時代は生徒会活動に没頭する。大阪府立東淀川高等学校への入学と同時に演奏活動を始め、以後はオーディションへの参加に明け暮れていた。大学受験に失敗して浪人することになった後も音楽活動を続け、ヤマハボーカルオーディションに合格。合歓音楽院にて研修を受けることになった。
音楽活動をやめることを考えていた20歳のとき、最後に何か音楽活動の証になることをしようと思って「フォーク音楽祭」に参加したところ、予選を次々と突破。関西四国決勝大会でグランプリを獲得し、全国大会にてスカウトされた。
作詞・作曲:庄野真代/編曲:上柴はじめ
飛んでイスタンブール
同年『第20回日本レコード大賞』中山晋平賞(のち作曲賞)受賞と同時に、『第29回NHK紅白歌合戦』に初出場
イスタンブールという魅力的な街と異国情緒を想像する歌詞と中近東っぽい楽曲が大ヒットとなった。
「飛んでイスタンブール」(とんでイスタンブール)は庄野真代の楽曲。5枚目のシングルとして、1978年4月1日にBLOW UP/日本コロムビアより発売された。
ウィキペディアを調べるともともと野口五郎のために書かれた楽曲らしい。
庄野の最大のヒット曲として知られており、シングルのオリコンセールスは46.3万枚。累計売上は60万枚を超える[2](80万枚とも[3])。
元々は筒美京平が野口五郎のために作った曲で、野口の音域などを意識しながら完成させた作品だった[4][5]。しかし、仕上がり具合から筒美は「この曲は野口より女性ヴォーカルの方が合ってる」と判断し[6]、結局はレコード化されることの無いまま、女性歌手用にストックされた。[要出典]
モンテカルロで乾杯 マスカレード
モンテカルロで乾杯
モンテカルロで乾杯(1978年7月10日)
作詞:ちあき哲也/作曲・編曲:筒美京平
イスタンブールからモンテカルロと当時憧れの都市の楽曲で連続してヒットする。
マスカレード
同年 マスカレードと3曲連続でヒット曲となる
マスカレード(1978年11月25日)
作詞:竜真知子/作曲:筒美京平/編曲:瀬尾一三
世界旅行 から 大学入学 NPO法人と
1980年に「休業宣言」をして音楽活動を休止、同年に世界一周の旅に出て28か国132都市を渡り歩いた[1]。その際にはイスタンブールも訪問しているが、歌詞のイメージと実際の風景があまりに異なるので驚いたという[5]。帰国後は歌手活動を再開したほか、執筆・講演活動も開始[1]。ミュージカルやテレビドラマにも出演する。
帰国後 歌手活動を行い 多方面な活動を行う。
現役シンガーとして活躍
多方面な活躍をしながらシンガーとして活躍中です。
アデュー(1979年9月1日)
作詞・作曲:庄野真代/編曲:瀬尾一三
庄野真代 Mayo Shono「気ままな人生(ライフ)」
庄野真代コンサート~Domestic Mayo Line 2021 in Tokyo
2021年3月7日(日) こくみん共催coopホール/スペース・ゼロ
これからも歌い続ける
友人の 渡辺真知子 岩崎宏美とともにコンサート活動も良っ呈されています。
公式サイト 庄野真代オフィシャルサイト
詳しくは、オフィシャルページで確認できます。
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