2024年 4月6日 WWE(World Wrestling Entertainment, LLC.)殿堂入りとなった ブル中野は、英語でスピーチを行った。
日本人女性では、初のWWE殿堂入りとなったブル中野は、1993年 – 1994年にかけて WWE(WWF)にフル参戦 日本人で米国のWWF世界女子王座を獲得するなど世界的なプロレスリング選手として米国内でも有名である。
今回の「昭和の壺」は、
全日本女子プロレス観ていましたか? ブル中野 WWE殿堂入りおめでとう記念
と題して ブル中野のYouTube「ぶるちゃんねるBULLCHANNEL」からレスラー視線からみた
全日本女子プロレスを振り返ってみましょう。
全日本女子プロレス
全日本女子プロレス(ぜんにほんじょしプロレス)は、かつて存在した日本の女子プロレス団体
1968年に旗揚げ 2005年4月17日解散まで多くのスターを生み出し、昭和から平成にかけて日本女子プロレスの中心に存在していました。
自分は、ギリギリの赤木まり子選手を見ていた記憶がありますが、
マッハ文朱、ジャッキー佐藤とマキ上田の「ビューティ・ペア」、ナンシー久美、ミミ萩原、デビル雅美、ジャガー横田、長与千種とライオネス飛鳥の「クラッシュ・ギャルズ」、北斗晶、堀田祐美子、井上貴子、豊田真奈美、アジャ・コングなど多くのスター選手を生み出していった。
一方、「クラッシュ・ギャルズ」と対向する悪役として ダンプ松本、クレーン・ユウ、ブル中野の「極悪同盟」がガチで殺し合いというような抗争をを繰り広げ テレビ中継も最高潮に盛り上がり 一時代を形成することになった。
しかし、1997年あたりからスター選手の引退、テレビ中継の消失、放漫経営などもあって、経営不振に陥り 給与未払いなどもあったという。
このあたりは、「ぶるちゃんねるBULLCHANNEL」のゲストのはなしを聞くと大変な状況だったらしい
創世記
1968年に旗揚げしたメンバーに赤木まり子という選手がいました。
自分がギリギリテレビで見始めたころ まだ現役か解説をやっていたような記憶があります。
小さな身体で大きな選手と対等にファイトしている姿をみていました。
先日 「ぶるちゃんねるBULLCHANNEL」で赤木まり子さんの話を見つけたので 旗揚げ直後など貴重な話を聞くことができるのでぜひご覧になってください。
女子プロレスが「イロモノ的な興業」から「格闘技としての興業」に変遷して行く様子が語られています。
非常に貴重なお話なのでぜひ聴いてみてください。
ビューティ・ペア
アイドル的なマッハ文朱がプロレスラーとアイドル(タレントと言った方がよいかも)という図式で人気が上昇、入門者が増え1976年 ジャッキー佐藤とマキ上田の「ビューティ・ペア」の誕生となっていきます。
試合前にリング上で歌う「かけめぐる青春」が大ヒット さらに熱を呼び女性ファンが会場に押し寄せることとなった。
リング上で歌を歌い まさにアイドルの誕生 リングには紙テープが乱舞、リングが見えないほど紙テープで埋め尽くされるのをテレビで見ていました。
1979年 ジャッキー佐藤とマキ上田が直接対決で負けた方が引退という試合が組まれ マキ上田は引退となる。
クラッシュ・ギャルズ
その後 ミミ萩原、デビル雅美、ジャガー横田とスター選手が登場
1983年 長与千種とライオネス飛鳥の「クラッシュ・ギャルズ」が誕生で最盛期を迎えます。
ビューティーペアと同じようにステージで歌っていました。
このとき 「クラッシュ・ギャルズ」の対抗軸として「極悪同盟」が結成 ダンプ松本、クレーン・ユウ、ブル中野という「日本で最初のガチなヒール役」が誕生した。
竹刀、チェーン、ヌンチャクなどで「クラッシュ・ギャルズ」に凶器攻撃を行うという 嫌われ役の登場でさらに盛り上がることになる。
当時の極悪同盟」は、ファンをはねのけ、ガチで試合していたと言います。
このため ダンプ松本には、「クラッシュ・ギャルズ」ファンからガチで嫌われ 石を投げられたり、カミソリを送られたりなど 私生活に影響をきたすほどの本当のヒール役を演じていた。
しかし、ダンプ松本は、そういう嫌われ役をプロとして徹底して演じていました。
リング上でヒールとして立ち回るだけではなく、本当に憎まれるために生活まで変えるという徹底ぶりが語られています。
「ぶるちゃんねるBULLCHANNEL」でブル中野との対談で当時の様子が語られていますのでぜひみてほしいと思います。
ダンプ松本のプロフェッショナルなヒールは、近々Netflixで公開になる予定『極悪女王』でドラマになるほどすさまじい状況だったらしい。
ヒール集団であったがリング外ではダンプを筆頭にクレーン・ユウ、ブル中野、コンドル斉藤などの極悪メンバー全員の性格がとても温厚でベビーフェイスの後輩も分け隔てなく可愛がり世話をするなど面倒見がたいへん良かったために、多くの後輩レスラーから慕われていた。そのために全女全盛期はダンプを慕ってベビーフェイスから極悪同盟へヒールターン希望の後輩選手も多かったという。 ダンプ自身駆け出し時代には全女内で陰湿ないじめなどを体験しており仲間同士のいじめや無視などの行為が大嫌いだったためにグループ内では仲間の悪口や告げ口、内緒話、陰口、遅刻厳禁の5か条があったそうで厳守させていたという。
公開が待ち遠しい
狂気な時代
1989年に長与が引退、1990年に飛鳥も引退となり「クラッシュ・ギャルズ」の終焉を迎え低迷期に入る。
それまでの女性ファンが会場に来なくなり、冬の時代になりますが、ダンプ松本引退後「獄門党」としてブル中野、アジャコングなどヒールレスラーが、レスリングで魅せるレスリングを展開し男性客を呼ぶことになる
髪切りデスマッチ、金網デスマッチなど激しい戦いも展開される。
特に1990年11月14日、ブル中野対アジャコングの金網デスマッチでブル中野が金網の最上段(3mと言われている)からのギロチンドロップは、プロレス雑誌の表紙を飾るほどの衝撃的な出来事でプロレスファンなら多くの人が記憶に残っています。
ブル中野は、WWF(現WWE)にフル参戦しWWE世界女子王座を獲得(日本人女性でははじめて)で当時米国では、女子プロレスは、見世物興行てきなものであったが、ブル中野の参戦もありパワープロレスの要素が加わり大きな動きとなって行く このあたりをWWEは評価し アランドラ・ブレイズ(メデューサ)と(2015年殿堂入り)共に評価されたと思われます。
全日本女子プロレスも1994年には、東京ドームで試合を行ったり、他の団体との交流戦やFMW横浜スタジアム大会などに出向いて試合をするなど盛り上がりをみせます。
しかし、女子プロレスの中心的な存在の全日本プロレスも急激に人気を失って行きます。
低迷期そして消滅
1997年にアジャコングをはじめ中心選手14人の選手が退団しフリーや他団体に移籍
同年 10月21日、半年以内に2度目の不渡りを出したため、銀行取引停止処分となり経営悪化が表面化
フジテレビによる中継も終了し2005年4月17日解散となり全日本女子プロレスの終焉となります。
原因は、団体の中心であった松永家における浪費、飲食業経営、土地転がし、株の投資に手を出したことが経営を著しく悪化させた最大の要因と言われています。
継承
女子プロレスは、多くの団体が存在しています。そのいくつかは全日本女子プロレスのメンバーが現役を継続していたり団体の代表になっていたりしています。
ダンプ松本もクレーン・ユウ、長与千種、アジャコング、井上貴子、豊田真奈美も現役で活躍中
そのほか 多くの選手も「ぶるちゃんねるBULLCHANNEL」でゲスト出演して当時の様子や現在の状況などを語っています。
全日本女子プロレスは消えてしまいましたが、女子プロレスを根付かせことは事実です。
まとめ
ブル中野のYouTube「ぶるちゃんねるBULLCHANNEL」を偶然みつけて、昔みていた女子プロレスをYouTubeを探ってこの記事を書きました。
YouTubeでは、当時、現役だった選手の多くがチャンネルを開設しています。
なつかしい顔ぶれとともに テレビでしか知り得なかった裏側で起きていた多くの話を聞くことができます。
また、当時の映像もアップしてくださる人もいて 激しい時代をみることができるという
いい時代になりました。
近々Netflixで公開になる予定『極悪女王』としてダンプ松本のドラマが始まる予定なのでこれも楽しみです
令和の時代に昭和の時代にプロレスにすべてをかけてきた女性達が描かれることになるでしょう。
世界最大のプロレス団体WWEでは、現在、ASUKA(2015年 – )中邑真輔(2016年 – )戸澤陽(2016年 – )カイリ・セイン(2017年 – 2020年、2023年 – )イヨ・スカイ(2018年 – )と参加していてイヨ・スカイは、2024年 4月7日にベルトを失いますが、WWE世界女子王座を獲得するなど大活躍しています。
自分は、ブル中野 WWE殿堂入りのタイミングでAbema TVでWWEが見られることがわかり さっそく契約してしましました。
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