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「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で大ブレーク 横浜をカッコよくキメた ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

ダウンダウンブギウギバンド 金曜日のロック魂
ダウンダウンブギウギバンド

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ
のヨーコが、阿木燿子かどうかは、定かではない。

今回、ご紹介するロック野郎は、
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
このロックバンドを知っている人は、いいお年の方だと思います。

自分? 自分は、昭和37年生まれ(1967年)なのでよく知っていますよ。

では、聴いてみよう。

スモーキン・ブギ(Smokin’ boogie)

まずは、デビューまで追ってみよう

1972年末にサディスティック・ミカ・バンドに対抗した長いバンド名「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を思いついた宇崎竜童が、当時のバンド仲間(アマチュア)にレコーディングの話を持ちかけたところ全員怖気づいて解散状態になる。その後メンバー集めに奔走し、1973年4月に改めてバンドを結成、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドと命名する。同年12月に東芝/エキスプレスレーベルからシングル「知らず知らずのうちに」でデビュー

ウィキペディアより抜粋

デビューから一年後
1974年12月に「スモーキン・ブギ」が大ヒット(70万枚以上)
詞:新井武士、曲:宇崎竜童

スモーキン・ブギを聴いてみよう。


歌詞をよくみると「目覚めの一服」「授業をサボって喫茶店で一服」
今では、絶対に放送されない歌詞ですね!
今だと「放送禁止もの」 いい時代でした。

そして、あの大ヒットへ続く

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ

1975年3月
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ  シングルカット

  • オリコンチャートの週間順位で5週(1975年6月23日 – 7月21日付)1位
  • 1975年のオリコン年間ヒットチャートでは第5位にランクイン
  • 大晦日の『第26回NHK紅白歌合戦』に初出場
  • 第17回日本レコード大賞では、企画賞を受賞
  • ミリオンセラーを記録

詞:阿木燿子 曲:宇崎竜童
宇崎竜童の妻であった阿木燿子の作詞デビュー作でもある。

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ

実は、港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカは、スモーキン・ブギのヒットに続けとばかりカッコマン・ブギのB面として発売されたが、有線放送で港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカが、ランキング上昇、急遽A面にして発売した。

米国で流行っていたトーキングブルースにヒントを得て 語りになったという。

裏切り者の旅

1975年には、賣物ブギ シングルカット
大ヒットの影響が強く、レコード会社は、コミカルバンドとして売り出そうとしたが、バンドは、それを良しとしなかった。

1976年3月 裏切り者の旅 リリース
デビュー曲 知らず知らずのうちに のようなスローバラードの曲は、22万枚以上のヒットとなる。

裏切り者の旅を聴いてみよう

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのなかでも好きな一曲です。

サクセス

1977年3月にリリースされた サクセス は、B面の愛しのティナもヒットとなった。

サクセスを聴いてみよう

愛しのティナも聴いてみよう

おじさんになった宇崎竜童のサクセスもぜひ観てほしい。

一番星ブルース

菅原文太の大ヒット映画、「トラック野郎」のテーマ
詞:阿木燿子 曲:宇崎竜童 編曲:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

この主題歌は、映画全10作のうち9作で使われた。

一番星ブルース

これを聴くと ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは、ブルースバンドであることがわかる。

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ユニバーサル

知らず知らずのうちに

詞:阿木燿子 曲:宇崎竜童のコンビは、山口百恵の「横須賀ストーリー」を皮切りにヒットメーカーとして昭和歌謡の中心となってゆく。

ヒット曲を続けたダウン・タウン・ブギウギ・バンドは、
1981年12月31日、ASAKUSA NEW YEAR ROCK FESTIVAL’81-’82」(浅草国際劇場)を最後に解体(解散)

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは、コミックバンドのようなイメージを持っている人が多いと思いますが、その根っこはブルースです。

では、最後にデビュー曲を聴いてみよう。

知らず知らずのうちに

豪華なメンバーが共演している映像を見つけました。
知らず知らすのうちに

宇崎竜童&岩城洸一&世良公則に という豪華なメンバーの唄をブログの最後にします。

では、また来週をお楽しみに

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