日本では、不倫の歌や耐える女性の歌を歌っているイメージが強かった テレサ・テン
日本で楽曲を出したときはすでに中華圏をはじめマレーシア、シンガポールで「アジアの歌姫」とよばれていた。
今回は、歌手テレサ・テンの唄を聴いてみよう。
テレサ・テン
最初にウィキペディアでみてみよう
テレサ・テン(1953年1月29日 – 1995年5月8日、中華圏で使用された名前は鄧麗君〈デン・リージュン〉)は、台湾出身の歌手。1970年代から1990年代にかけて、中華文化圏全域ないし日本、タイ、マレーシアなども含めたアジアにおいて広く人気を博したその業績から、生前から没後も「アジアの歌姫」と呼ばれている。
父親は中国河北省邯鄲市、母親は中国山東省出身で共に外省人で、また父親は元国民党軍の職業軍人であり、彼女自身、軍隊への慰問活動を熱心に行っていたこともあり、「軍人の恋人」(中国語:軍中情人)というニックネームでも有名。
身長165cm、血液型はO型。
突然の不幸
1995年5月8日、静養のためたびたび訪れていたタイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作を起こし、搬送先のチエンマイラム病院で死去した。部屋から出てきたテレサが倒れていたところをホテルの従業員が発見し、救急搬送されたが、普段は10分で着くところが道路事情の悪さで30分かかってしまい、病院到着時には既に死亡していたという。42歳の若さだった。
気管支喘息が死因であった。
自分も喘息の持病を持っているので発作の時の苦しさは、よくわかります。
苦しかったでしょうね
空港
1974年、21歳の時に日本での歌手活動を開始
最初は、アイドル路線だったが、2枚目のシングルから歌謡曲路線に
2nd 1974年7月1日 空港 日本での2枚目のシングル この曲が大ヒットとなる。
第16回日本レコード大賞新人賞受賞 テレサ・テンの名前は日本で名前が売れました。
その後も香港、台湾、日本と忙しい活動が続く
国外退去処分
1979年2月、本来の中華民国のパスポートではなくインドネシアのパスポートで来日しようとしたため、旅券法違反で国外退去処分となり、日本での歌手活動ができなくなった。
原因は、1972年の日中国交正常化の影響で、日本は中華人民共和国と国家の承認をし、中華民国とは国交断絶のため インドネシアのパスポートで入国していた。
パスポート自体は、正式な者で偽造ではなかったが、中国との国交正常化の影響なのか今ではわからないが、厳しい処置を受けている。
日本で活動できなくなったわけですが、中国、台湾で活動が続き大きな人気を得ている。
1984年、日本の音楽ファンの強い要望もあって、再来日が許可される。
つぐない
14th 1984年1月21日 つぐない
日本での歳活動
つぐない
作詞:荒木とよひさ/作曲:三木たかし
つくない という曲名が意味深だが、楽曲はすばらしく 有線放送から人気となる。
心にしみる歌詞、それを表現する美しいメロディ そして 透明感のある声
そして 有線大賞を受賞しトップスターとなる
この映像は、おそらくテレビ東京の演歌の花道だろうか?
愛人
15th 1985年2月21日 愛人
愛人
作詞:荒木とよひさ/作曲:三木たかし 編曲:川口真
つぐないにつづいての大ヒットとなり2年連続 有線大賞を受賞
有線大賞は、電話でリクエストをするもので 本当に聞きたい曲 と言っていいだろう。
CMとかアニメで広がるわけではない。
ましてネットなどもない
そして 翌年 あの唄が登場した
時の流れに身をまかせ
1986年2月21日 テレサ・テンの代表とも言える楽曲がリリースされた
時の流れに身をまかせ
作詞:荒木とよひさ 作曲:三木たかし 編曲:川口真
この映像は、有線大賞受賞の時で めずらしく 声が詰まってしまうところもあった。
1986年の『第37回NHK紅白歌合戦』と、1991年の『第42回NHK紅白歌合戦』で2度歌われている。
1991年の『第42回NHK紅白歌合戦』
真っ赤なドレスで歌い上げるテレサ・テン このテレビは自分も観ていました。
絶頂期のテレサ・テン 貴重な映像です。
いい唄だなぁ 年齢を重ねる毎にこの唄はこころにしみこんでくる。
まとめ
今の時代にこういう曲は生まれることができないだろうね
時代遅れとか いろいろと言われるけれど
消費される唄ではなく 歌い継がれてゆく唄は、この時代にたくさんつくられていました。
今のように いつでもどこでも聴ける時代ではなかったのですが、街にテレビにそしてカラオケで彼女の唄が流れていた。
テレサ・テンは政治に利用されたとか いろいろと言われますが、日本で歌っていた テレサ・テンは、一人の女性として、歌手として私たちの心に深く残っています。
その笑顔は、いつまでも私たちの心の中に残り続けます。
時の流れに身をまかせ 聞いていたら 泣きそうになったので このあたりで
ではまた、再現
コメント